地球を救う

(周囲を見回しながらヒソヒソと)

旦那?

地球を救うのは、女性の

アカンベー

ですぜ。

おっと、誰にも言っちゃぁなりませんよ。

 

(暗闇に立ち去る)

 

 

 

 

2012/05/26  2 Comments

メタファ

「そのもの」を言い表せない、言葉が見つからないときに比喩を探す。
もししっくりくるものが浮かべば、それを用いる。
はじめから「比喩を使おう」などと思うことはない。
比喩はあくまでも比喩で「それそのもの」ではないから…
ましてや「ステキな比喩表現をしましょう」なんて下心があると、
それは必ずノイズとなって言葉にのる。

比喩は自然と浮かんだときに使うもの…

だったら、それは人それぞれの、その人だけの言葉になるはず。
自分の中から出てきた言葉になるはず。
それがどんなに変でもきたなくても、
その人の中から自然に出てきた言葉は光りを帯びていることでしょうよ。

「わくわく」も「きらきら」も比喩。「そのもの」ではない。

それを安易に用いるというのは「自分」じゃない他人を追いかけているということであり
「自分」からは遠ざかっていく行為なんだと思う。
たから彼ら彼女らの魂は薄く頼りなく見えるの。

自分の感じている「それ」が、他人の言う「それ」と同じものとは限らない。

でも同じ言葉をつかう以上は同じものを感じてるのだろうと錯覚する。
それが恋へと発展することもあるだろうけどストレスの元にもなる。
言ってしまえば「言葉」ってすべてメタファであり「そのもの」ではないのだな…
安易に言葉を用いると、そこで「そのもの」を感じ続けることが終了する。
その言葉をサインペンで書き込んで、ファイリングしておしまいだ。

それはもったいないってもんよ。

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2012/02/15  Leave a comment

奥さんのピアノの音

奥さんの弾くピアノの音が聴こえている。

習い始めて2年ほどの拙い演奏だが、ぼくは楽しく聴いている。

子供の頃から憧れていたピアノを弾く嬉しさが音に現れている。

どんな曲でも楽しそうな音がする。

夜間はヘッドフォンで音を消していて、鍵盤のパタパタいう音だけ聴こえる。

その音だけでも楽しそうに聴こえる。

不思議と、しっとりした曲もいい。

哀感ある曲は似合わない気もするのだが、これが聴ける。

無邪気で天真爛漫なところが奥さんらしさだと思うが、

その背後に薄く空気のようにある、自覚もしてないであろう寂しさや悲しさが音に現れるのだろうか。

 

そうだ、ぼくは悲しい曲を感情たっぷりに弾かれるのが苦手だった。

悲しい話は、ちょっと口の端に笑みが浮かんでるくらいの表情で語られるのがいい。

「男はつらいよ」や「ライフ・イズ・ビューティフル」みたいに・・

その笑いは、悲しさよりも深い海の底から来てるんじゃないかな、と思う。

 

 

 

 

 

 

2012/01/28  Leave a comment

誰にも言っちゃあなりませんぜ

旦那、お一人ですかい。

いや、ちょっとお耳に入れたいことがありましてね。。

誰にも言っちゃあいけませんぜ。

いいですか?内緒ですよ。旦那だから教えて差し上げるんですから。

じゃ言いますよ。もちっと近づいておくんなさい。

いいですか。

寅さんは妖精なんです。

寅さんですよ、車寅次郎。葛飾柴又の。

ええ、「男はつらいよ」です。

あの寅さんは妖精です。

ええ、あっしが発見したんです。今朝ほどね。

だからあの男は女と一緒になれねぇんです。なんたって妖精ですからね。

マドンナが旅すると、うまい塩梅に寅さんと出会うでしょう。それも妖精だからです。

驚いたでしょう、旦那。驚きませんか。

ちかごろ「寅さんは実在した」とか言ってる輩がいるでしょう。

ああ確かにそうだ、なんだかいたような気がするって思いましてねぇ。

それで考えたんですよ、これはどういうこったいって。

で、わかったんです。

誰にも言っちゃぁなりませんぜ。

え?妖精があんな四角い顔の男のわけがないって?

はは、そこがあの男の巧妙なところでさ。

騙されちゃぁいけませんよ、旦那。俺の目は誤魔化されねぇ。

いや確かですよ、そう考えりゃあ色々と辻褄があうんで。

妖精ってやつは、まあ何かを煎じ詰めて残った結晶を集めました、ってなもんでしょう。

世の男どもを煎じて煎じて、それで残った一粒の精を集めたんですよ。あの男は。

どうです、なかなかのもんでしょうが。

いや、誰にも言っちゃぁなりません。あっしの身が危なくなりますからねぇ。

旦那を見込んで言ってるんだ。

昨日の朝、ベランダで洗濯物を干しながら「男はつらいよ」の主題歌を口ずさんでいた。

するとなにか込み上げてくるものがあり、声は震え、目には涙まで溜まってきた。

何者の仕業かは分からない。

 

 

2012/01/25  4 Comments

座間味の人

座間味島では民宿へ泊まった。

民宿に泊まるのは初めてだ。

昔ながらの赤瓦の家の民宿を見つけたのだ。

ぼくは沖縄の赤瓦の家が無性に好きなのだ。

宵の口に白沙の路地を歩いていて、赤瓦の民家から三線の音がポツリと聴こえてきたら最高。

と、思うくらいにはミーハーだ。

部屋へ通されてウッとなった。

ああこれが民宿か・・

古い家のただの部屋。

生活臭ぷんぷん、壁一枚の向こうは宿の人の生活の気配。

天井や壁の板は木目の黒いフシが目立つ粗雑な木材で、まるで番屋とか掘立小屋のようなクオリティだ。

本土の家屋なら、なるべく柾目の、フシの無い板を使うところだが、沖縄ではこのような造りなのだろうか。

わからない。何軒もお邪魔してみなければ、わからない。

襖の向こうにリビング的位置づけの部屋があり、コタツがあり、仏壇があり、他の部屋の人も宿の人もそこを共同で使う。

素泊まりのみだった。

それは良いのだが、宿のある集落には店などというものは何も無い。

港の方まで行けば食堂も食料品店もあるが、歩くと20分ほどかかる。

それで、宿のご主人に頼めば、いつでも車で送迎してくれるらしい。

島のどこにいても電話すれば迎えに来てくれる。

ご主人は、たいてい鼻唄などフンフンと口ずさみながら何か作業をしている。

奥さんは働いている。

ご主人のお母様も宿にいつもいる、このおばあが宿に住んでいるらしい。

朝はおばあがコーヒーを淹れてくれ、サータアンダギーを揚げてくれる。

夜は適当にコタツに集まって、泡盛など飲みながら談笑する。いわゆる「ゆんたく」か。

このゆんたくが楽しみになった。

ご主人も奥さんもおばあも、話が面白い。

・むかしは、この島でも米を作っていた。その頃の米はとても美味しくて、まだ田の稲穂のときから

お米の良い香りが漂っていて、それを嗅ぐとうっとりしたものだよ。

・この島の住人はみんな顔見知りです。どこに住んでる誰かは分かってます。

・学校の先生や診療所の先生が新しく赴任してくると島中で歓迎会をやる。でも送別会のほうが盛り上がるかな。

送別会はすごいよ。ああ、巡査さんのときもやるけど、巡査さんは自分で決められるから、もう今の人は10何年もいるから。

・やっぱり海のことだけは本島に負けたくなくて、7月に子供たちに遠泳をやらせてるんです。中学生は、向こうの無人島まで

泳がせます。途中に流れの強いところがあってみんな流されるから、かなりの距離になるけど、ええ、みんな泳ぎ切りますよ。

子供一人に大人が三人付き添うんです。

・震災のときは、ここも津波警報がでました。それで、みんな避難所に車を持って行って、それで自分は家に帰って来て

テレビを見てる。車のほうが自分より大切なんですね。笑

・東京へ行ってびっくりしたのは、あの階段が自動で上がるやつ・・エスカレーターでしたっけ?

あれに乗っているのに、歩いてそこを上がってて。歩くんなら何で階段にしないんだろうって、不思議でしたねぇ。

・沖縄はシャワー文化なんです。お風呂はあまり入りません。

・年に何度かは、鯨がこのビーチのすぐそばまで来ます。この間も、ほらその辺にいて。それで急いで旦那に電話して、

「いま鯨いるよ」って。それでぼけーって見てました。

・海ガメの卵が孵化して、こう沢山赤ちゃんが積み重なるようになって、それで下敷きになって動けなくなる子もいるんです。

それで怪我が治るまで水槽で世話してやって。オレのこと分かるんですよ、近づくと寄って来るんです。それで海へ返すんですけど、

行かないんですよね。こっちじっと見ちゃって・・それでやっと沖へ泳いでいってお別れです。亀は太平洋を渡って

アメリカ西岸まで行きます。ここへ戻ってくるのは30年後ですから、オレのこと覚えているか分からないけど、もうオレがいないかな。

このビーチにいるカメの顔は、みんな覚えていますよ。ええ、見れば誰だかわかります。名前つけてるし。

・まあのんびりしてますよね。おばあが海辺で近所の人とお喋りしてて、3時間くらいしてまた通ったらまだそのままお喋りしてます。笑

それをとやかく言う人もいませんから。

大きな声では言えないが、この島では車のシートベルトには大らかなようだ。

ちなみに信号は港の前に、子供の教育用にひとつあるだけ。

一軒だけあるガソリンスタンドの給油機がかわいい。

この島にはハブがいない。というかヘビはいないという。

大きな野生動物では、慶良間鹿と山羊がいる。

というわけで夜道に危険はない・・と思う。

陽が沈むと集落までの道は真っ暗になった。

満月の夜に歩いたらいいだろうな。

そう言えば、この島の様々な習慣は陰暦に従っている。

1月3日。

午前中は宿でご主人に三線を習い、それから食堂のある港近辺までご主人に送って貰った。

港の前に体育館のような建物がある。

「今日は、これから生年の祝いがあるんです。年男・年女の祝いですね。下は島の人しか入れませんが、2階は誰でも入れますから、

良かったらちょっと見てってください」

ご主人はそう言い残した。

地元のささやかな行事を見てって、と言うのが可笑しい。でもご主人がオススメするものに間違いは無い気がした。

誰にでも勧めはしないだろう、お客を見て、それぞれにいいと思うものを勧めるだろう、あのご主人は。

家族ごとに出し物をする。終わるとおめでとうのメッセージを贈る。

「やすおおじいちゃん いつまでもげんきでいてね」という幕が広げられた瞬間に、胸が熱くなって目が曇った。

なんでだろう?よく分からない。

島の青年たちが会を取り仕切る。日に焼けた髪の茶色い青年たち。

この島に高校は無い。中学を卒業するとみな本島へ渡る。そのまま帰ってこない者もいる。帰ってくる者もいる。

宿のご主人もそうだ。彼は横浜で暮らしていたという。そこで結婚し、3人の子をもうけ、それから島へ帰ってきた。

最後にカチャーシーが始まる。

見せるためのものではない、普通の人たちのカチャーシーを生で見るのは初めてで感激した。

年配の人の踊りが見事だ。

年配の男性の踊りはユーモラスで、年配女性の踊りは優雅だった。

沖縄でいつも感じるのは、老人が「近い」こと。

老人が遠くない。

ここ座間味島にも集団自決の歴史がある。

「平和の塔」の前を何度か宿の車で通っているのだが、ご主人は何も言わなかった。

この島は遣唐使の頃から「風待ち」の港だったという。

今でも「国際緊急避難港」に指定されている。

島の北側は断崖絶壁が続き、強烈な北風と大波が押し寄せる。

南側は海が湖のように穏やかで静かだ。

人々も南側で暮らしている。

 

 

 
波の音に混じって聴こえるキンキンという音は、奥さんが珊瑚を並べて叩いている音です。

 

 

 

2012/01/16  1 Comment

ケラマブルー

この年末年始は沖縄の座間味島へ出掛けた。

那覇からフェリーで2時間、高速船で1時間。

冬の沖縄は曇りがちで風が強く、船は揺れた。欠航も多いらしい。

高速船はヤケクソ?と思うくらい飛ばしていて、船酔いするよりはスリリングな気分。

波のぶつかる音は「ごつん」と、まるでコンクリの塊がぶつかるような音だった。

奥さんは出航してすぐに寝ている。

やっと波が穏やかになると、慶良間諸島の島々の中にいた。

眺めがいいので奥さんを起こす。

小学校の校庭ほどの小さな無人島に真っ白な砂浜が広がっている。

奥さんはずっとその島を見ていた。

オンシーズンなら渡し舟があるようだ。

あそこで丸一日過ごしたらいいな、と思ってから

「トイレどうするんだろう」と考えた。

1月1日午前11時に座間味島へ到着。

乗客は少ない。

観光の若者グループ、カップル、アウトドアなおっさん等に混じり

帰省らしき青年や少女もちらほら見掛ける。

賑やかな来訪者たちと寡黙な帰省者たち。

港には出迎えの人々が10人ほど集まっていた。

小さな島が好きだ。

時間の流れ方が違う。

人と人との間にある空気が違う。

島で狭さを感じたことはない。

狭さとは、物理的な大きさではなく人との距離で感じるものかも知れない。

座間味島のある慶良間諸島は、海の透明度が世界でも有数の美しさらしく「ケラマブルー」と呼ばれている。

それを証明するように外人の来訪者が多い。

ヨーロッパから来る人が多いという。

小さな島なので、訪れている外人さんたちとは何度も出会う。

食堂で一緒になり、ビーチで見掛け、道を歩いていて擦れ違い、スーパーへ行くとまたいる。

すぐ顔見知りになった。

カップルが多い。

あと、若い女の子ふたり組とか、男性ふたり組とか・・2人単位が多い。

彼らは思い思いにゆっくりと過ごしていた。

ビーチへ二人で来ても、そこではそれぞれが好きにしている。

一人が寝転がって読書し、もう一人はヨットに乗ってたりとか。

日本人の来訪者はもっとテンションが高くてアクティブだ。

釣り、ダイビング、島の一周、海に飛び込む若者もいる。

何かをやるために来る日本人と、何もしないために来る外国人。

短い滞在の日本人と長い滞在の外国人。

「休暇」という言葉の意味がかなり違うのかな・・?

ぼくらの滞在は4日。まず自転車で島を一周した。

小さな島だが起伏が激しい。

電動アシスト車だったが、それでもきつい。

日が射すと暑い。20度くらいだろうか。

長袖シャツくらいがちょうどいい。

陽が沈むと寒くなる。上着が欲しくなる。

海水の温度は、泳ごうと思えば泳げるくらい。

長い時間足だけ海に浸かっていても冷えることは無かった。

眺めのいい場所は随所にあったが、次第に浜辺にばかり行くようになった。

「見る」より「触れる」方がいい。

この水は、見ていたら触れずにはいられない。

音もいい。

波の立つ音、波が引いていく音。

匂いはない。

この透明な水に潮の香りは似合わないだろう。

何もない「透明」ではなくて、とても豊かな「透明」。

さらさらしたミネラルウォーターとは違う。

まろやかさがある。白ワインや日本酒に似ている。

・・となれば、手で掬って飲んでみるわけだが、

やっぱり塩っぱくて「ああ酒じゃなくて海だわ」と気づく。

これが本来の海か。

こんなにきれいなのか。

そう感じることができると、何となく自分自身もきれいになった気がしてくる。

太古の海が分離して自分が生まれた。

だから、この海と自分は兄弟なのだ。

奥さんはすぐに靴を脱いで寝転がり、うたた寝をはじめる。

砂だらけになるがお構いなしだ。

放って置くと何時間でもそうしている。

ぼくの方が先に間が持たなくなる。何か次のアクションを起こしたくなってくる。

悔しい。

ああ、この人はわかってるなと感心した。

 

 

 

2012/01/14  2 Comments

月の秘密

てえへんだ、てえへんだ。

おっきな声じゃ言えねぇが・・

さっきお月さまを見たらよ?

糸で釣ってあんのよ。

うそじゃねぇ、俺ぁこの目でしっかり見たんだ。

で、この糸はどっから来てんだいと思ってさ。

こう、ずずっと糸を見上げていくとよ、

ずーっと空の上へ伸びてんのよ。

真っ暗な空にだよ?

ずーっとだ、ずーっと上までさ。

その先は、もう見えやしねぇ、

どんな長さなんだい?気が遠くなるぜ。

ハサミでぷつんと切りゃぁ

すとんとお月さまは落っこっちまうな。

それも面白れぇかと思ったんだけどよ…

けどよ。

いってぇ何処のどいつがあのお月さまを吊ってんだ?

どんな魂胆なんだ?

こんなずーっと上のほうでさ・・

なあんて考えたらよぉ、無性におっそろしくなってな…

冷てぇ風がひゅうと俺の顔を撫でやがってさ。

もうブルブルっとしてよぉ、

知らんぷりして帰ってきたってわけよ。

俺ぁ知らねぇよ。

ああ、俺ぁ知らねぇ。

何にも見ちゃいねぇぜ。

くわばら

くわばら

 

 

 

 

2011/12/27  Leave a comment

床屋にて

「男はつらいよ」第45作「寅次郎の青春」に、とても好きな場面がある。

宮崎の油津という静かな港町の床屋。

女主人(風吹ジュン)が寅さんの顔を剃っている。

二人以外に店には誰もいない。

椅子の上で仰向けの寅さんは気持ち良さそうに目を閉じている。

女主人の美しい手が柔らかい泡を包む。

それから、艶かしい光を放つ剃刀が泡を優しく切り取っていく。

ラジオから古い映画音楽のような曲が流れ、

女主人の白衣から白いソックスが見え隠れする。

映像のトーンも淡いソフトなタッチで、ヨーロッパの映画のようだ。

寅さんも妙に色っぽい。

床屋には仄かにエロティックな空気が漂っていた。

 

ぼくは30年ほど床屋へ行っていない。もっぱら美容院を転々としてきた。

寅さんをみて床屋もいいな、と思うようになり

パリジャンたちを見て「いちど床屋へいくか」と思うようになった。

江戸っ子とパリジャンは似ている。

「どんな髪型か」より「どれだけ髪に手間を掛け続けているか」が大切らしい。

「どう見られるか」より「どれだけ自分がしているか」

「かたち」より「おこない」

仕事の途中で見掛ける床屋。

背の曲がった老男性と若い女の子が働いていた。

空気が澄んでいるような気がした。

「あそこにするか」

床屋にいくなら東京の右側がいいと思った。

江戸っ子に鍛えられているだろう。

30年振りの床屋。老男性の息子らしき青年をみて「大丈夫」な気がした。

一人で北海道をツーリングしそうな顔だった。

 

「この辺のおじさんたちは、どれくらいのサイクルで切りに来ますか」

「短めにしてる人は、ちょっとでもバサバサしてくるとイヤみたいです。

それで本当は2週間くらいで切りたいようなのですが、いくらなんでもということで

月に一回くらいで我慢しているようです」

「わはは」

嬉しくなる。

そうだよな、そうこなくっちゃ。

 

顔剃りが楽しみだった。30年、顔を剃ってない。

「お顔を剃りますね」

あの若い女の子が担当らしい。

蒸しタオルの匂い。

顔が柔らかい泡に包まれる。

美しい白い手に抱かれた泡を思い浮かべた。

剃刀の当たる感触、ゾリゾリという音。

髪を切るより長い時間だったかも知れない。

会話はない。

何度も剃刀が当てられ、蒸しタオルに包まれ、

終わりかな・・と思ったところでクリームが塗られた。

いい匂いの、ぬるりとした指が顔中を行き来する。

そのまま顔のマッサージになった。

女性の指の温かさ、柔らかさ、優しさ、滑らかさ、繊細さ、艶めかしさを顔中で感じる。

これは未知の体験だ・・

女性の掌が触れると光り溢れる宇宙がそこには生じる。

子宮の中はこんな感じなのかな。

どんどん時間が逆行していき、子供から赤ん坊へ、それから胎児へと自分が戻っていく。

戻っていける・・女性の掌の中なら。

 

女性は掌にこんな魔力を隠し持っていたのか。

ますます神秘だ、ますます頭が上がらない。

やれやれ。

山田洋次も渥美清も、その魔力を知ってたのか。

大したものだ。

こんちくしょうめ。

 

 

 

 

 

 

 

2011/12/25  Leave a comment

あげてない


夜明け前に目が覚めた。
窓の外をみると地平線の辺りがオレンジ色で、その上は
ピンクから濃紺まで変わっていく。
好きな時間帯だ。

蒲団に入ったままで、安吾の「私は海を抱きしめてゐたい」を読む。

隠微で不感症な女との話らしい。

猫の声が近くで聴こえた。

あれは何か訴えている声だ。

ああもう何日も餌をあげてない、このままだと死んでしまう。

「おいで」と呼んだ。

だっと走り出す四つ足の音、それが近づくとゆっくりになって

枕元で止まる。

ところが蒲団の中に入ってこない。

上にも乗っかってこないし、首に巻きついてもこない。

どうしたんだろ。枕元に立ったままだ。

おかしいな…

頭を上げて横を向いて猫を見ようとして、目が覚めた。

ああ夢か。

安吾を読み始めてすぐにまた寝てしまった。

猫と暮らしていたのは、もうずいぶん前だ。

(なんで餌をあげてないと思ったんだろう)

あの猫は、ぼくの心の中のどこにいる奴だろうと

ぼんやり考えた。
確かに餌をあげてない気がする。

2011/12/23  Leave a comment

花を贈る

録画したままだった「ようこそ先輩 課外授業」を見る。

先生役は「ランドスケープアーティスト」(?)の石原和幸さん

テーマは「花を贈る、本気を届ける」

「花」の威力を見せつけられた。

花を贈る。それだけのことだ。

それを「本気」でやる、考える。

誰に贈りたいか。

なぜ贈りたいか。

いつ贈るか。

どのように贈るか。

それを考える、考える。

本当に贈りたいのは誰か?

途中で贈る相手を変更する子もいた。

そして贈られた相手は涙が出る。

すると贈った子供たちも涙が出るのだ。

「花を贈ってよかった」

男の子がぽつりと言う。

花には魔法の力がある。

花と一緒なら、

できないことができてしまう。

言えないことが言えてしまう。

 

自分の誕生日に母親に「産んでくれてありがとう」なんて言うのは

ぼくにとってはたいへん難しいことだった。

しかし花を渡すと同時になら、言えた。

ぼくは「花束を持っているときの自分」が最強で最高にカッコいいと思っている。

花束をカッコよく持てる人でありたいと思っている。

 

贈る方も泣いてしまうなんていう贈り物は最高だ。

自分と相手の間で何かがパッと燃え上がり、ふるえる。

そんな瞬間は最高だ。

その記憶は永遠のものだと思う。

 

 

 

・・・

 

 

(基本的に贈り物は女性相手にしか考えてないことに気づいた!)

 

まあいいや。

 

 

 

2011/12/14  4 Comments

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